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ヨークの聖パウリヌス司教  St. Paulinus de York      記念日 10月 10日


 625年にケントの王エドバルドの姉妹、王女エテルブルガがノーサンブリアの聖エドウィンと結婚するために北に行ったとき、彼女は自分のチャプレンとしてパウリヌス司教を同伴した。彼は、601年にローマからイングランドに派遣された第二回目の宣教師の一団の一人であり、カンタベリーで聖ユストゥスによってその職に聖別された。627年にヨークで、ベダによって詳しく物語られている状況の中で、エドウィン王や貴族たち、また多くの他の者たちが、復活祭の前夜にパウリヌスによって洗礼を授けられた。パウリヌスは背が高く、肌の黒い男で「堂々としていて畏敬の念を起こさせる」風貌の人物であり、南はリンカーンにまで至り、数多くの者たちを回心させ、洗礼を授け広範囲にわたる一連の伝道旅行に従事した。教皇ホノリウス1世はパウリヌスをヨークの大司教として認めたが、その手紙が届く前にノーサンブリアの最初の伝道活動が終わりを迎えた。632年にエドウィンはウェールズのキャドワロンとその同盟者たちと戦って殺されたので、パウリヌスは、未亡人となったエテルブルガとその子供達を安全のため海路ケントに連れ戻した。彼は自分の助祭ジェームスに、彼ができる限り最善を尽くした北方の伝道の仕事を継続させ、残りの年月をロチェスターの司教として過ごした。
 エドウィン王の統治の最後の数年の時期に、一つの格言が「一人の女性が、新たに生まれた自分の赤ん坊を島を横切って海から海へと運んで、何の害も受けなかった」と語ったほど、彼の支配には平和と秩序があった。彼もまた、聖人として一定の崇敬を受け、同様に王妃のエテルブルガもそうであった。